ここで、あなたがたに奥義を告げよう。わたしたちすべては、眠り続けるのではない。終りのラッパの響きと共に、またたく間に、一瞬にして変えられる。
彼は、万物をご自身に従わせうる力の働きによって、わたしたちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じかたちに変えて下さるであろう。
しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえったのである。
御旨の奥義を、自らあらかじめ定められた計画に従って、わたしたちに示して下さったのである。
このようなわけだから、人はわたしたちを、キリストに仕える者、神の奥義を管理している者と見るがよい。
そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れた。その中にはすでに眠った者たちもいるが、大多数はいまなお生存している。
むしろ、わたしたちが語るのは、隠された奥義としての神の知恵である。それは神が、わたしたちの受ける栄光のために、世の始まらぬ先から、あらかじめ定めておかれたものである。
この奥義は大きい。それは、キリストと教会とをさしている。
すなわち、すでに簡単に書きおくったように、わたしは啓示によって奥義を知らされたのである。
そうだとすると、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのである。
たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい。
そして、天から賜わるそのすみかを、上に着ようと切に望みながら、この幕屋の中で苦しみもだえている。
この幕屋の中にいるわたしたちは、重荷を負って苦しみもだえている。それを脱ごうと願うからではなく、その上に着ようと願うからであり、それによって、死ぬべきものがいのちにのまれてしまうためである。